三浦半島の庚申塚(98年8月14日)

(安浦の中山さんより)

これは、やはり”すばるネット”のメンバーの稲垣さんが、
「三浦半島には庚申塚(こうしんづか)が特別に多いのでは?」と
問題提起されたので、興味を覚え取材してみた庚申塔群です。

 いわゆる「見猿、聞か猿、言わ猿」の三猿を彫った塚も多いようです。


(20基の塔がある庚申塔群)

お庚申さまとは、干支の庚申(かのえさる)に当たる日(60日に一度)に行われる信仰で、
もとは中国道教にありと言われています。

その夜は身中の虫が寝ている体からぬけでて、天帝にその人の悪事を報告すると、
天帝はその人の命を奪うので、その夜は寝ずに善い行いをするというものです。

この教えが中世日本に入り、サル信仰とも結びついて、天尊降臨の猿田彦の神との連想から、
道を守る道祖神となって、辻々に塔を立てました。

平安時代には宮廷貴族の間に流行、鎌倉時代には武士階級、さらに室町に至り一般庶民の間に広まりました。
この信仰が盛んになったのは江戸時代で、百姓、町人は勝手に集会することを禁じられ、
自然、法事に事寄せ庚申講が栄えたのだと思います。

庚申の当たり年や災厄を免れた年などに建てた石塔が庚申塚です。
また、神体を青面金剛(上記 身中の虫を調伏する仏様)とし、台座に"みざる"の三猿を配したりするものも見られます。

この庚申の夜は女人をさける、この夜に結ばれ出来たる子は盗人となる、夢ゆめ疑うな、ご用心ご用心!!

また、農村では稲の虫送りの行事にも結びついていたとも思われます。
このことから庚申塔は全国に分布しており、特に三浦半島に多いという根拠はありませんが、
農村に多いのは頷けられます。



(写真の庚申塔群の所在地図)